TOEFL iBTの勉強をしています。

TOEFLの分厚い本は、私には似合わないようでした。600ページほどある分厚い本を読んだことは何度かあるのですが、この本はわかりにくい。

私の通っていた大学の教授が言っていたのは「大事なのはわかりやすくて短い文章だ」という言葉です。あれは、私の所属していた学科の一年生が読む「Pshcholody and Life」という分厚い本を苦労して読んだあとだから、よりいっそうインパクトがありました。
その教授は「論文には文学的な修辞は不要だ。オリジナリティは体裁ではなく論文の中身にあればよい」ともおっしゃっていました。とても残っている言葉です。

道又-ベムモデルという論文のモデルをご紹介したことがあったかと思います。
論文は抽象的なはなしからはじまり、少しずつ具体的な内容になっていって、統計的な「数値」というもっとも具体的なことから再びどんどん抽象的な考察へと移行していくというのが理想的な論文の一つのモデルだというはなしです。
心理学科は私の時代は文学部ではありませんでした。総合人間科学部という学部名にもあるように、総合的に人へのアプローチをはかろうという狙いのあった、その一期生が私でした。

心理学に文学的な素養がいるというのはよくわかるはなしです。何故なら精神科の医療とは異なり、心理学では薬を使わないからです。使うのは言葉であり、それ以上を汲み取る能力と訓練が必要とされます。

英語の難しく分厚い本を読む、というのは誰もが通る道かとは思うんですが、私は別の道を通ることにしました。

ふと部屋を片付けていると大学受験時代に傾倒していた「和田式」の受験法が書かれたコピーが出てきました。そのコピーによると、大学受験はどこの大学にでも受かるような"学校秀才"になる必要はなく、傾向を赤本からつかみとって効率よく勉強法を組み立てるべきだというようなことが書かれていて、一般的な受験生は東大生を「なんでもできる人」と思っているということを改めて知りました。
この受験法を提唱している和田秀樹氏は東大理IIIの出身です。灘高校の出身でもあって、灘高校で数学ができるようになったクラスメイトの勉強法などが著書に書かれていて参考になりました。
東大理IIIには受かっても慶応の医学部には落ちる生徒もいる。そういうことを世間の人は知らないようです。東大理IIIといえど万能ではないのです。

同じように受験時代のコピーが出てきました。今度は受験に非常に強かった担任の先生のコピーです。

学力=才能×努力+運

そう書かれていました。「私には才能はない。その分死ぬほど努力しよう。」とこの先生の言葉を聞いて思ったものです。その姿勢は今も変わっていません。

同じ道をほかの人と同じように通れば同じものしか出来上がなくなります。
人と違うものを作りたかったら、覚悟を決めて人と違う道を通るしかないんだよね。

というわけで、私は英語の勉強法を見直して学習方針を切り替えました。
私の夢は、アメリカに行くこと。それを叶えたいと思います。